ドライオーガズムを達成してなおその道を究めようとしている僕が、日々のドライオナニーで見つけたこと・考えていることなどを発表していく【研究報告】シリーズ。
今回は、「ドライオーガズムとタントラ的価値観~西洋の絶頂観を超えて~」というテーマで、全5回に渡ってお送りしていきます。
「哲学」とか「タントラ」とか聞くと、何やら難しそうなイメージだったりスピリチュアルな空気感を感じたりするかもしれませんが、そこまで堅苦しい説明をするつもりはありません。
できる限り簡単な文章で、あなたのこれからのドライオナニーにきっと役立つ情報を提供しますので、是非シリーズを通してお読みいただきたいと思っています。
今回は「①はじめに」ということで、これから5回に渡ってお話ししていく内容の全体像を紹介し、最高の快感であるドライオーガズムに達するための材料を提供します。

まだドライを経験していない初心者の方から、経験済みの上級者の方まで役に立つこと間違いなし!
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☆シリーズ「ドライオーガズムとタントラ的価値観~西洋の絶頂観を超えて~」
①はじめに(←今ココ)
②性感に対する従来的認識
③タントラ的世界認識
④タントラでドライオーガズムに達する方法とコツ
⑤まとめ
お話のはじまり
ドライオーガズムって、難しいですよね。
経験済みの僕でも「ドライの奥は深いなぁ」と感じているくらいですから、まだ経験したことのない初心者の方であれば、なおさらそう感じることでしょう。
ところで、ドライオーガズムを経験したくて色々な情報を調べてみると、こんな感じの情報が出てきませんか?
「ドライは女性的な快感」
「射精とは全く別方向の意識が必要」
「ドライはイくものではなく、クるもの」
これらは僕自身も当ブログでよく使う表現なのですが、どれも抽象的でなかなか理解や体感が追いつかないですよね。
実際、僕がまだドライ未達成だった頃はこのような表現を見て
なんやねん、それ!
って謎の逆ギレをしたりしてました(笑)。
しかし不思議なことに、ドライを経験してみるとこれらの表現がすんなりと頭に入ってくるんです。
経験者のアドバンテージってなかなかに凄いんですね。
でも、今のようにドライオーガズムを発信する立場になって思うことは、この「認識の乖離」とも呼ぶべき両者の溝の悩ましさです。
どれだけドライオーガズムの素晴らしさや方法を伝えようとしても、性的絶頂という内的・感覚的なことは、筋トレのフォームを修正してあげるようには指摘できません。
そんなときに出会ったのが「タントラ」と呼ばれる、古くからインドで伝わる考え方でした。
タントラは、僕たちが普段持っているような認識や価値観とは異なることを教えてくれます。ドライオーガズムも非日常的な体験であり、そこに共通するものを自分なりに見出すことができました。
詳しい内容は今後の記事で明らかにしていくのですが、このタントラが、ドライ未経験者と経験者の溝の橋渡しになってくれるように僕は感じたのです。
タントラ的な価値観を新たに取り入れて、従来的な認識を克服することができれば、ドライオーガズムに到達できる人が増えるに違いない。
そこで始めようと思ったのが「ドライオーガズムとタントラ的価値観~西洋の絶頂観を超えて~」という研究報告シリーズというわけです。
これからしていくお話について
問題意識とお話の射程
これから数回の記事に渡ってしていくお話は、以下のようなものになります。
1.オーガズムに対する従来的な認識を考え直す
2.タントラの認識がどのようなものか説明する
3.タントラ的認識を踏まえたうえでドライオーガズムへの認識を再構築する
途中で若干哲学的な話が出てきたり、「タントラ」という聞きなれない考え方が出てきますが、そのような場合には簡単に説明もしますのでご安心ください。
お話を見ていく上での注意点
まず、これからのお話を見ていく上での注意点を先に述べておきましょう。
これらは、全5回の全てに共通することなので、あらかじめ目を通しておいてください。
決してスピリチュアルな話ではない
タントラの教えには「宇宙と繋がる」とか、「瞑想」だとかいった話が出てきます。
ここだけ聞くと、「あぁ、この人はスピリチュアルな方向に行ってしまったんだな」と思うかもしれませんが、僕自身はバリバリの現代人で科学的根拠とかが大好きな人間です(笑)。
でも、その科学でも説明できないこととか解決できないことは色々ありますよね。
例えば心理的な悩みなんかはそうです。
孤独感を感じたり、大切なものを失ったり。
そういった問題は抗不安薬などで不安をやわらげることもできますが、あくまで対症療法であって根本的な解決ではありません。
結局は、カウンセリングなどを受けつつ根本的な認識の転換を図っていくしかないんです。
そしてその「認識」とはなにも、西洋で養われてきた感覚が全てではありません。
例えば、「唯一の神を信じる西洋人とは違って、日本人は全てのものに神が宿ると考えている」と言われたりしますよね。
お腹が痛いときは、神に祈ります。財布を失くしたときも、初詣に行ったときも神に祈ります。
では、あなたはその時、なんという神に祈っているか明確に答えられますか?
そう、唯一の神を信じる西洋的認識とは異なる認識って、意外と近くにもあるんですよね。
それらを「スピリチュアル」という特別な単語では呼ばないはずです。
これと同じで、タントラも、あくまで「自分たちと違う世界認識を持っている」というだけであって、それだけの理由で「変なもの」のように解釈するべきではないのです。
世界各地にある価値観は、ただ横並びに存在するだけであって、どちらが優れているとかそういうものではないんですね。
タントラ自体の分析ではない
これからしていくお話は、「タントラにおけるドライオーガズム」を分析するのではなく、非西洋的な価値観の代表としてタントラを例に持ち出し、従来の絶頂認識の転回を図ろうとするものです。
従って、タントラ自体を詳しく説明したり、分析したりするものではありません。
あくまでも目的は「ドライオーガズムに対する認識の問題に寄与する」ことなので、正確さを欠く情報などがあったとしても、僕にとってそれは些細なことでしかありません。
このお話でドライに対する認識が変わったり、ドライを達成できたりする人が少しでも増えれば、僕の目標は達成されることでしょう。
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最後に
さて、今回はこれから始まる考察の大前提となる部分について話してきました。
ここから、興味深くも長い旅路が始まります。
是非、暇なときにでも読んでいただければ幸いです。
次回は「②性感に対する従来的認識」です。