ドライオーガズムを達成してなおその道を究めようとしている僕が、日々のドライオナニーで見つけたこと・考えていることなどを発表していく【研究報告】シリーズ。
今回は、「ドライオーガズムとタントラ的価値観~西洋の絶頂観を超えて~」というテーマで、全5回に渡ってお送りしています。
「哲学」とか「タントラ」とか聞くと、何やら難しそうなイメージだったりスピリチュアルな空気感を感じたりするかもしれませんが、そこまで堅苦しい説明をするつもりはありません。
できる限り簡単な文章で、あなたのこれからのドライオナニーにきっと役立つ情報を提供しますので、是非シリーズを通してお読みいただきたいと思っています。
前回は、「②性感に対する従来的認識」ということで、従来の性に対する認識はドライオーガズムを邪魔する可能性がある、というお話をしました。
今回は「③タントラ的世界認識」についてです。
前回批判したような僕たちが普段持っているオーガズムに対する偏見を取り除くため、古代インドから伝わる「タントラ」と呼ばれる考え方を紹介します。
タントラの哲学は、性に対する深い精神的な理解を伴うものです。
本記事では、タントラの基本的な概念とその性に対する考え方を説明し、これを通じて次の記事で説明されるドライオーガズムを成功に導く方法の探求へと繋げます。

まだドライを経験していない初心者の方から、経験済みの上級者の方まで役に立つこと間違いなし!
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☆シリーズ「ドライオーガズムとタントラ的価値観~西洋の絶頂観を超えて~」
①はじめに
②性感に対する従来的認識
③タントラ的世界認識(←今ココ)
④タントラでドライオーガズムに達する方法とコツ
⑤まとめ
タントラとはなにか?
みなさんは「タントラ」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
ひょっとすると、「タントラセックス」や「タントリズム」などの用語で聞いたことがあるかもしれませんね。
本章では、タントラとはなにかについての簡単な説明をしていきたいと思います。
タントラの概要
タントラとは、古代インドより伝わる考え方のことです。
宗教だと思う方もいるかもしれませんが、厳密には宗教ではなく、自己に目覚めるための教えの体系を指すようです。
従ってタントラとは教義とかそういう難しいものがあるわけではなく、世界観そのものだったり、その「道」を究めようとするものなんですね。
早い話が、思想よりも実践に重きを置く教えです。
ちなみに、タントラは一般的にセクシュアルな事柄と繋げて考えられていることが多いようですが、それらはタントラの教えの内の重要なごく一部でしかありません。
まあ、今回はセクシュアルなことに繋げて考えるんですけどね(笑)。
タントラの厳密な起源は明確ではないようですが、古代インドの人々の日常生活の基盤となっていた考え方が、数千年をかけて他の思想と共鳴しあい、8~10世紀頃に大成されたようです。
民衆の生活が基盤になっているので、お堅い思想よりも実践をすることに重きが置かれていたり、性生活について詳しい考え方があるのも納得ですね。
タントラに意味はあるのか?
ここまで聞いてくると、タントラは前近代的でスピリチュアルなもの、あるいは非理性的なものであるという印象を持つ方がいるかもしれません。
しかし、その批判はあたりません。
そもそも、西洋的な「理性信仰」が全てではないのです。
西洋の理性信仰は、確かに世界の解明や科学技術の発達に大きく寄与し、人類の文明を発達させてきました。
しかし、その結果どうなったでしょうか?
大きな戦争や大量破壊が行われ、今では自然環境の破壊なども大きな問題となっています。
「客観的な真理」は個人それぞれの悩みを解決してくれるわけではなく、自分を傷つけるような行為に至ってしまう人も増えました。
もちろん、西洋の思想が悪いと言いたいわけではありません。
ただ、それらは世界を説明しようとする考え方のひとつにすぎず、それ以外にも考え方は多様に存在するというだけのことです。
タントラもその「多様な考え方」のひとつです。
西洋の考え方が絶対的なものでない以上、性生活を含む民衆のリアルな生活を内包するようなタントラの教えを現代に導入してみるのも、決して意味のないことではないでしょう。
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タントラの性に対するユニークな視点
タントラは、現在に生きる僕たちの性に対する控えめな考え方とは全く違う視点を持っています。
僕のこれまでの経験上、それらはドライオーガズムの達成に非常に役立つ考え方であるので、ここで紹介していきましょう。
タントラの根底にあるもの
タントラの教えは、古代インド民衆のリアルな生活と関わっていると説明しましたが、その根底にはいったいどのような考え方があるのでしょうか。
現在の僕たちを取り巻く、西洋流の近代文明の根底にあるものと比較してみましょう。
まず近代文明には、このシリーズの第2回でも述べたように、「自分とそれ以外の分離」という考え方が根底にあります。
自分や人間といった「こちら側」と、神や世界・真理といった「あちら側」にいる絶対者との間に一線を引いてきたのです。
この考え方によって、「あちら側」、つまり客観的なものを分析しようとする学問や科学技術が大きく発達しました。
一方でタントラの根底には、「自分もそれ以外も本質は同じ」という考え方があります。
これは自分を主軸として世界を見る近代文明の考え方とは異なり、全宇宙を中心に据えるものの見方です。
従って、タントラにおいては自分自身への執着は倒錯であると見なされ、自分はあくまでも世界の一部でしかないと気付くことが重要であるとされています。
実は、これは仏教などの東洋思想にもみられる考え方なのですが、現実を「空」とみなすそれらとは違い、タントラは現実世界にこそ絶対的な真理があらわれていて、現実世界に価値を認めようとします。
それでは、このように考えるタントラは、性的なことに対してどのようにアプローチしているのでしょうか。
タントラにおける性の考え方
タントラは、自分も含めた全てのものを本質的には同じものだとみなします。
しかし、実際には世界と人間、男性と女性のように分かれてしまっていますよね。
そこでタントラは瞑想をすることによって、それらの一見正反対に見えるものも、本当は完全に合体したものとして世界を悟ることを目指します。
なので、男女の合体であるセックスなどは素晴らしい行為なのです。
そして、その悟りの境地に達したときには言い表せないような恍惚感が得られるといいます。
またタントラでは、欲望、感覚、現状などのすべてのものを否定せずに全面的に受け入れることで、精神と肉体を一体化させることができれば、人間の力が最大限に発揮できるとしています。
禁欲をすることで解脱の道に至ろうとする他の宗教や教えとは正反対ですね。
ちなみに僕の知り合いの宗教学者によれば、世界中にある宗教などの教えは、禁欲か欲望の解放という極端な二つに収束するそうです。
禁欲の宗教が多い中で、タントラは「欲望の解放」を教えとしているんですね。
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最後に
今回の記事では、タントラやその教えについて大まかに見てきました。
タントラとは性生活を含むリアルに即した教えであり、また性欲も含めたすべてを受け入れようとする考え方でしたね。
それではこれらの考え方を取り入れると、ドライオーガズムに対する考え方が一体どのように変わるのでしょうか?
次回、「④タントラでドライオーガズムに達する方法とコツ」にご期待ください。